活字の海で溺れてます

本とは出会い...

世界最強だった日本陸軍

英語の勉強をしていたとき丸善TOEICの過去問集を探しに行った。日頃よくいく馴染みの本屋と違い、久しぶりに圧倒的な本の量に圧倒される。ついついいろいろと物色してしまう。日本の近代史には興味があり、いつもどうして太平洋戦争(大東亜戦争)になったんだろうと思い関連の本を読む。よくいわれているのはいわゆるハル・ノートをつきつけられ、やむにやまれず戦争となった。ということだが、要求をみるとどうしてもできないということもない。米国と戦う危険を考えるといまだ日中戦争の終わりが見えない状況でどうして、と思ってしまう。本棚にあるタイトルにひきこまれた。「世界最強」とある。副題にも「スターリンを震え上がらせた軍隊」とあった。英語のことはすっかり後回しにして購入してしまった。

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ノモンハン事変、マレー上陸作戦、シンガポール陥落について詳しく書いてあった。ここまではむしろ勢いとしては押しているように思える。それからガダルカナル、レイテと制海権、制空権のない苦しい戦いをへてソ連満州侵攻へ。私は史実に詳しくないので戦いの内容についての論評はしない。

印象に残ったのはガダルカナル島での苦戦に際しての石原莞爾の意見である。

「戦争の勝敗は初めからわかっております。わがほうの作戦はすべて、攻勢終末点を超えています。・・・しかるにシナ事変も今度の戦争も、まったくこれを考えていない。攻勢の終末点を越えれば叩かれるのは当然で、負けることがわかっているところへ兵を送る馬鹿はいません。制空権がすでに敵の手中に陥った以上は、即刻ガダルカナル島を撤退すべきです。・・・」

 

 

また東京裁判の際に酒田臨時法廷での証人喚問で以下のように述べている。

「私が戦争指導をやったら、補給線を確保するため、ソロモン・ビスマルクニューギニアの諸島を早急に放棄し、戦略資源地帯防衛に転じ、西はビルマ国境からシンガポールスマトラ中心の防衛戦を構築し、中部はフィリピンの線に退却する。他方、本土周辺、およびサイパンテニアン・グアムの南洋諸島をいっさい難攻不落の要塞化し、何年でもがんばり得る態勢をとるとともに、外交的にはシナ事変解決に努力を傾注する。

・・・米軍はサイパンを奪取できなければ、日本本土爆撃は困難であった。それゆえサイパンさえ守り得ていたら、レイテを守り、当然五分五分の持久戦で断じて負けていない。蒋介石がその態度を明確にしたのは、サイパンが陥落してからである。サイパンさえ守り得たなら、日本は東亜の内乱を政治的に解決し、シナに心から謝罪してシナ事変を解決し、次に民族の結合力を利用して、東亜一丸となることができたであろう。」

 

 

この石原莞爾が予備役であったというのがこの戦争を象徴している気がした。歴史に「もし」はないが、石原の言葉には説得力がある。ただ私は勉強不足のため今回のテーマについてはコメントできない。ただ日本陸軍の強さもまた事実なのではないかと感じさせられた。

 

羆撃ち

どん底でどうにもならない時友人が貸してくれた。最近よくわかったんだが、悲しいひとは必ず悲しく見えるとは限らない。笑顔の先に深い悲しみが含まれていることもある。

北海道の山中でひとり猟師をしている物語。短く、飾りのない、あざやかな描写で綴られている。実際体験したひとしか書けないリアルさ、瑞々しさ、現実感が伝わってくる。久しぶりに物語に没頭してしまった。

 

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ひっそりと静まり返っている沢に、神経を集中する。葉を落とした林が、乾いた皮膚のように続き、エゾマツやトドマツの群れがところどころ染みのように黒くなっている。皺のような小沢が行く筋も見える。日陰になったところだけ、白く消え残った雪がある。沢奥の尾根の向こうに、真白く雪をかぶった斜里岳の尖った山頂が輝いている。その上に薄絹のような雲を通して、青い空が続いている。風もなく静かだ。

情景が目にうかんでくる、においまで伝わってきそうな感じだ。この話にフチという猟犬がでてくるがこれがまたいい。「けなげ」というのは人間では死語となっている感じだが、ほんとに健気な犬である。

こういう真正面からの本はなかなかない。人生も真正面から向き合わないと。

オードリー・ヘップバーンの言葉

どうしても伝えたい大事なことがあって古い友人にメールした。2年ぶりかな。言葉をえらんで、いろいろ考えておくった。1秒以内に返事が来た、早すぎる、MAILER DAEMONからだった。言葉の届かないこともあるということだね、、、

なんか落ち込みそうな気がしたので本屋に行って、これ買ってきた。オードリー、美しい。

 

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オードリーは、古風で、情熱的で、信念のつよいひとだったようだ。

チャンスなんて、そうたびたびめぐってはきません。

だから、いざめぐってきたら、とにかく自分のものにすることです。

精一杯、頑張るのです。

何でも簡単には手に入らないのです。

 その通りチャンスなんてそうそうない。ほとんどの場合それがチャンスかもわからない。備えているひとにはそれがわかるのだろう。そういうことをserendipityというのだと思う。

 

 

 

 

自分の時間

夕方からある会合に出席しようと出かけた。会場で案内を見るとそれらしきものは書いてない。はて?毎月第3水曜日じゃなかったかな?そういえば今週は事前の案内をみてないな。かん違いか、、、

ワーッと歓声が聞こえる。なんだろ?隣の球場でプロ野球オープン戦をやっていた。若いジャージ姿のカップルとすれちがった、どちらもいい笑顔してる。さわやかだ。こちらもうれしくなるね。内面ってほんとひとの顔にあらわれるなあ、最近それがわかってきた。自分はいけてるのかな??自分じゃわかんないもんね。顔みれないし。祈ろう、いけてることを。シャー・アズナブルみたい。「赤い彗星」ってほんといいひびきであこがれるよね。関係ないけど私の車は赤いのだよ、ふふ。ちょっとTSUTAYAに寄って雑誌でも読んでくか。

やめとこう、と思いながらビジネス書籍の棚に行ってしまった。渋い紫の背表紙が目立っていた。アーノルド・ベネット、知らんな。渡部昇一は知ってる、保守本流の論客で、どこかの教授だったよな。「ゼロ戦と日本刀」を以前読んだっけ。

 

ここで渡部昇一さんの訃報を知りました。びっくりしました。虫の知らせなのでしょうか。襟を正した日本人という印象でいくつか著作を読んでいます。ご冥福をお祈りします。

 

めくってみる、「もっと時間があれば、は言い訳にすぎない」、重い言葉だが、そのとおりだ。「ブリックストンを出発したというだけでも、何がしかの意味があるのだ。なぜなら、たいていの人はブリックストンを離れたことすらないからだ。」そのとおり、まず踏み出してみる、それが大事なんだよね。表紙のかっこいいのも後押しした。自己啓発書は麻薬のようなものでついつい読んでしまうので近づかないようにしてるのだが、、、

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まえがきを読んでまずびっくりしたのは、内容が100年前とは思えないこと。1902-8年頃のロンドンで書かれたらしいが、人間の悩み自体は変わっていないということか。なんかちょっとホッとする気もする。

あなたは毎日24時間で生活するしかない。24時間の中で、健康も楽しみも、金も満足も尊敬も得ていかなければならない。また、その中で不滅の魂を向上させていかなければならない。

ほんとそう、24時間しかない。全力で生きないと。背筋が伸びる感じの本。

 

 

もう一度読みたい 教科書の泣ける名作 再び

私はよくコンビニに行く。食べ物、飲み物、トイレ、もうひとつよくいくのは雑誌や漫画の立ち読みだ。むかしから漫画は立ち読みしてきた。週刊誌が多い。いまは週刊マガジンと週刊ヤングマガジンを定期購読ならぬ立ち読みしている。ちょっとまえからコンビニにも単行本や文庫本が並ぶようになった。PHP的な本が多いが、おっと思うのもある。これもそんな一冊。

 

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表紙でみて思い出した、「スーホの白い馬」小学2年生だ。多分。記憶とは不思議なものだ。さっきもらったお釣りなどすぐ忘れてしまうのにこんな時間のたった出来事が深い水の底からスーッと浮かびあがってきたりする。一度手にとってやっぱり返してしまった。過去にとらわれてはいけない、吉岡憲法いわく「一の太刀、いま!、ここ!」だろ。

しばらくしてまだあった、もう次はないかも、出会いだよな。買いました。

「スーホのしろいうま」「高瀬舟」以外はわからなかった。

そんなに かなしまないでください。それより、わたしの ほねや、かわや、けを つかって、ことを つくってくださいな。そうしたら、わたしは いつまでも、あなたの そばに いられますから

 走馬灯ってあるんだな、そのときは考えもしなかった。教科書とっとけばよかった、、、いや「いま!、ここ!」だろ。

55歳からのハローライフ

ずっとむかし、どこまでも自転車に乗っていったころ、おとずれたことのある駅をふと思いだした。確かこの道だったよな。遠い記憶をたどりつつたずねてみた。まったく変わってしまって自転車駐輪所だったと思われるところはコンビニになっていた。その隣「明和書店」になんの気なしに足を踏み入れた。ぱらぱらと雑誌をめくり、漫画を読んだ。中学生の頃の近所の本屋を思い出した。昔から本屋の立ち読みは大好きだ。昔の本屋は小さかったが、本棚は高く、店ごとに本も違ったような気がする。別の本屋に行くというのはかなりワクワクしたものだ。最近の本屋はどこも大きい。立ち読みしてる人もたくさんいる。多すぎて手に負えない感が強い。ついついおすすめのところにいっておすすめの本を手にとってしまいがちだ。そんなことを考えながらそろそろ出るかと歩き出した時にチラッと視界のすみにタイトルが飛び込んだ。「ハローワーク」?失業の話か。最近まで失業中だったので他人ごととは思えず手にとって見た。村上龍か、「男は消耗品である」とかあったな、なんか気取っててキライなんだが、時に読みたくなる不思議な作家だ。

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ハローワーク」ではなかった、「ハローライフ」だ。パラパラのめくると早期退職の話があった。58歳からの再就職は絶望的に難しいとかを読んで、少し迷ったが、久しぶりに村上龍読んでみよう、とレジに向かった。

読んでみると5つの短篇からできていた。私は本をよく途中から読み出す癖がある。とばして核心部のいいところを読んでは前に戻る。結末を読んでから、出だしに戻る。など友人からはあきれられる読み方をしている。さっそく中高年の再就職話から読んでみた。タイトルは「キャンピングカー」。早期退職した中間管理職が、妻とキャンピングカーで全国をまわることをもくろんであっさり断られる話。最近離婚した私には身に突き刺さる展開だ。慕われてると思っていた妻に、バッサリ真っ二つだ。うーん、私なら怒るだろうなと思いながら、でもそんなものか、女性なんか。男の幻想だな。うん、うん。話の主題はそこではなく、本当に大切な人に固有の時間があることをはじめて知ったときに人は動揺する、ということだった。なんのこっちゃ、だが、子供が大人になるのに自己同一性を確立するのに似てるのかな。こんなに近い、身も心も同じ、と思っていても突き詰めると他人なのだという現実を突きつけられると、自分の存在が不安になる、ということなのかな。ふむふむ、深いな。しかしベストは次だった。「空飛ぶ夢をもう一度」。私もよく空飛ぶ夢を見る。いつも落ちていく夢だ。車に乗っている時もあるし、飛行機の時も、ダイビングしている時もある。これは飛ぶのではなく落ちる夢か、、、、。中学時代の同級生に40年ぶりくらいに会ったが、日雇いで病気に冒されていた。最後に母親のもとへ連れて行くのだが、最後の手紙が本当に泣ける。

でも、おれは素晴らしい友人に恵まれた、それだけで生きた甲斐があった。

 なんだ、これだけ?と思うだろう。じゃあ、読んでみて。男性ならわかるから。「男はタフでなければ生きていけない、やさしくなければ生きていく資格がない」、野性の証明だったかな、こんなセリフを思い出した。はて私は生きていけるのか、、、女のひとは?うーん、どうなんだろ、なにそれって感じかな、多分。アディオス!

冒険の書

 

とある休日、駅前の好日山荘でぼうしをみた。夏向けの日差しをよける、つばの大きな、でも涼し気なやつを探していたが、うーん、ないか。

右にまがってドアから出ようとして、チラッと写真が目についた。若いきれいな女性。ん?、「冒険の書」?どこなんだろ?と一瞬手にとりかけて、荷物になるな。と考えなおし、帰りにみてみることにしようとあとにした。

・・・・

翌日、新幹線のなかで気づいた、あっ、忘れてた、なんて本だったかな?

・・・・

そんなこんなで1週間が過ぎ、なんとなく気になってGoogle先生にたずねてみた。「女子高生、ヒマラヤ、登山」、でた、「冒険の書」南谷真鈴、本屋で探すと、1冊だけあるとでた。

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購入して早速読んでみた。

まずタイトルがいい。「冒険の書」、むかしのドラクエを連想してうれしくなった。表紙の写真がいい。かわいいじゃん。どれどれ、冒険をよんでみよう。

表紙の裏をみてびっくり、標高8848mのエベレスト山頂にて、とある。えーっ、うそやろ。とてもそんなとこにみえなかったので、、、

なんと7大陸最高峰踏破とある。ひえーっ、そ、そうなん?

あとはすぐ読めた。なんか簡単そうに書いてるけど内容はすさまじい。しかも大学受験しながらやったそうな。そんな女の子がいまどきの子なのか、それとも特殊なのか、はて。

あんまし書くとつまらなくなるので感動の一文でしめておこう。

目的に向かい、情熱によって動かされる人間の意志より強いものなどない。

自分自身を信じる力は、もはや奇跡だ。

(登頂日の日記より)